それは法律問題です

「それは法律問題です。事実問題として危険がないとどうして云えますか。この事件にAのような証人が飛び出すことだけで新聞は賑わいます。物ずきな記者たちはEホテルに行くかも知れません。いや行くにちがいない。そうすればそこではAが当夜泊った事と同時に、立派な家庭の夫人が同時に居たことが証明されます。衣川さん。そのホテルのオフィスに、勿論偽名ですが二人がサインしているのです。夫人の筆跡がちゃんと明かになって居るのです。Aは逃れることは出来ません」「ではその夫人だけに出てもらうわけには……」「絶対に不可能です。あの時分そんな処にいるべき女でないのです。のみならず、夫人自身が実見して居ないのですから仕方がありません」「それではもはや妥協の余地はないのだね」「ただ僕自身があなたの前で云っただけの事なら法廷に出て行ってもいいのですが」「然しそれは、全然作り話だと思われればそれ切りの話だ。……よし、仕方がない。斯うなった以上、僕は僕の信ずる通り行動するより外仕方がない」「というとどうするのですか」「われわれ法律家に、Let justice be done though heaven fall. という格言がある。正義を遂行せしめよ。清川、僕は正しいことのために争うのだ。君一個人に対しては、恩を仇で返すことになるかも知れない。君の好意は好意として受ける。しかし、僕はあの話をきいた以上、黙っては居られない。断じて」「あなたはAを捕まえるのですか」「僕としてはAを捕まえるか或は君を法廷につれ出すか、いずれも僕の義務だと思う。清川、くり返して云うが之は僕の利己心からではない。正義の為だ。正義の為に戦うのだ」「待って下さい。僕はその正義の名に於いてあなたにもう一度考慮を望むのです。そうです。何が正義か。もう一度考えて下さい。正義という事は尊いことでしょう。しかしそれに対して人間が、あわれな無力な人間が勝手の行動を取るという事はおそろしいことですよ。人間が考えている以上に運命はおそろしい事をします。あなたはそう勇敢に進むことがおそろしいとは考えませんか」「僕は文学者ではないから君のいうむずかしい言葉は判らない。僕はただ正義をふみにじる事を恐れるばかりだ。それが恐ろしいのだ。この場合如何なる犠牲を払っても、森木国松を救うことが一番正しいことに違いないのだ。よし、君との妥協は不可能だ。あすにもEホテルについて取調べて必ずAの正体をつきとめてやる。清川、最後にいうが君とAとは余程密接なようだ。よもや君がAなのではあるまいね」

— posted by id at 06:54 pm  

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