不義の恋に対して

 不義の恋に対して天が如何なる方法を以て報いるか、人間のはかり知り得ることではありません。弘は、好奇心から見たあの事件の為に、あれ以来、一夜として安眠を得たことがないのです。 衣川さん、弘に良心がないと思うのは可哀相です。弘は丁度あなたの云われた通りの考えをもって居たのです。殊に法律を学んだ弟には、自分を犠牲にしても名乗って出ることが正しいと考えられたらしいのです。 けれども、一方彼はただれた恋に陥っていました。愛する女を犠牲にしなければならないという事が一番その決心をにぶらせたのです。そうしてあの事件以来、名乗って出よう、名乗り出なければならない、と思っては、それをなし得ず、又自決することも出来ないで、時をすごしてしまったのでした。 ところが、森木国松の事件はいよいよ進行し、而も被告に最も不利に進んでしまいました。新聞でそれを伝えられる度に弟は身を切られるような思いをしていたのです。そうしていよいよ第一回の公判が開かれ、被告の身がいよいよ危険になると知るや、弘はたまりかねてあのおそろしい事実と恐しい恋の話を僕に打明けたのです。 その時の僕の驚きを察して下さい。更にその夫人の夫の名をはっきり聞かせられた時、僕は更におどろいたのです。その人は社会的に立派な地位をもって而も最も妻を信じている善良な紳士なのですから。 而も、その紳士は僕のよく知っている人なのです。よく知りよく信じよく愛している人なのです。 衣川さん、僕の立場を察して下さい。もしあなたが僕の立場に立ったらあなたはどうなさるでしょう。あなたは思い切って弟を法廷につき出しますか。 理論は僕の進むべき方向を示さないわけではありませぬ。僕の立場に立ったものが進むべき一歩は明かでしょう。けれどそれは実に実に忍びぬことです。

— posted by id at 06:57 pm  

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