長距離電話

「あの……長距離電話で、どこかの警察だそうでございます」「何、警察?」 或るおそろしい、いまわしい予感におそわれて彼は電話室に立った。「……僕衣川柳太郎です……え? 何?……S県Nの警察?……はあ、はあ、何です。よく聞えませんが。……それは僕の妻の名ですが。何? 雪の中、死んで?……何ですかもう一度云って下さい、そうですよ、それはたしかに僕の妻ですが。……僕にあてた手紙がある? 死んだのですかほんとうに? え、紳士態の死体?……、……何、清川弘!」

 外に居た女中は主人のただならぬようすを注意していたがこの時、突然、電話室のガラスがくだける音がして、主人がよろよろと仆れるのを見た。 衣川柳太郎は脳貧血をおこして仆れたのであった。

 数日の後、 臥床して誰にもあわなかった衣川柳太郎は親しい藤山検事が、一私人として見まいに来たのをきいて、しいて居間に通した。 わずかの間にいたましくやつれた主人の顔を見ながら、藤山検事は一応の見まいをのべ、からだの養生をするように、おだやかにいとまをつげようとした。「藤山君、勝負は僕の勝だよ」「…………」 いたましい家庭の悲劇を知っている藤山検事は、不意に衣川にこう云われて何のことか一寸判らなかった。「藤山君、森木国松の事件だよ」「ああ、あれか、あれは君、弁護の辞任届が出ているが……今、養生が大切なんだから無理もない」「藤山君、勝負は僕の勝だよ。あれは有罪だと思って弁護を辞したのではないよ。いやその逆なんだ。森木国松は絶対に無罪だよ。君、君はとんでもないまちがいをしているのだぞ」「…………」「藤山君、もう一言君に云っておく。Let justice be done though heaven fall だ。しかし何が Justice か、僕らは考えて見る必要があるよ」 こう云うと、冷い気味の悪い微笑を唇の辺に浮べながら、衣川柳太郎は病床にあって、再び目をとじた。[#地付き](一九三〇年四月)

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